江戸時代の産業 – 浅野氏広島城入城400年記念事業公式サイト
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歴史・文化

江戸時代の産業

広島藩に平地はわずかしかなく、耕地面積が少ないにも関わらず米の生産量は多く、良質の米が取れていました。また多様な自然環境の中で、中国山地や内陸部では、和鉄、和紙、麻糸、木工の生産が進み、瀬戸内沿海部では、塩、綿、畳表、牡蠣、海苔、海産物、沿岸漁業などの産業も盛んでした。浅野氏は、綿・和鉄・和紙にはじまり、材木や畳表などを専売とし、藩の財政を強化。特に大坂との取引に力を入れ、巨大市場の獲得により藩は大きく発展しました。産業の発達を支えたのが瀬戸内海の海運と、太田川水系の舟運です。水運の発達が広島藩を西日本有数の商業都市として盛り立てていきました。

特徴的な産業を見てみましょう。

綿

干潟を開拓した土地は主に農地になりました。埋め立てと違い干拓は、土壌が均一になるため農業に適しているといわれます。当初は稲作も進んだものの、塩気に強い綿の栽培が始まると一気に拡大。産品は、綿、綿糸、綿布など加工品を含む綿産業へと広がり、「安芸木綿」と呼ばれて、広島藩有数の特産品になりました。


干拓によって開拓された土地は田畑に適さないことも多く、塩田として発展した場所もたくさんあります。竹原をはじめ尾道や三原を中心に、製塩が活発に行われました。竹原では、赤穂藩(浅野氏の分家)から習った製塩技術をいち早く導入。海水の運搬を、それまで主流だった人力による揚げ浜式でなく、潮の干満を利用した入り浜式にすることで、安価で良質な塩を生産。北前船によって全国に流通しました。一方で、塩づくりが盛んな地域では、薪炭のための伐採により自然林が減少したという側面もあります。


牡蠣

少なくとも縄文時代には天然の牡蠣が食べられていましたが、養殖は江戸時代初期ごろに始まったようです。当時の養殖法は、竹や木の枝を干潟に立てて、牡蠣を付着させ養育するもので「ひび立て養殖」と呼ばれます。
広島の牡蠣はほとんどが大坂で販売され、運搬船を牡蠣船と呼んでいました。そのうち橋のたもとなどに船を係留して牡蠣の直販が始まり、江戸時代後期になると船上で牡蠣料理を供するものが現れました。これが現在も元安川原爆ドーム近くに残る牡蠣船の発祥で、最盛期には100隻近くあったといいます。


海苔

広島湾は波が穏やかな上、太田川から栄養豊富な水が流れ込み、海苔の生育に最適な場所です。広島は西国一の海苔の産地で、牡蠣と同様に古くから広島の特産として知られていました。江戸時代中頃にひび立ての海苔養殖が始まり、さらに江戸後期、紙漉きのように海苔を薄く精製する漉き海苔が、西国で初めて広島でつくられるようになり、海苔産業は大きな発展を見せました。


和鉄

中国山地では、たたら製鉄も多く行われました。江戸時代初期は、砂鉄や炭を求めて移動する「野だたら」が中心でしたが、後半になると「永代たたら」体制が整い、数百人規模のたたら場が設置され大きな産業となりました。鉄は藩の特産として専売制となり、藩経済の柱でした。山県郡にあった加計隅屋は商家のひとつですが、最盛期は日本最大手の製鉄業者だったともいわれています。また物流の要衝だった可部は、中国山地から銑鉄や木炭などが集まり、鋳物産業が発達しました。


和紙

太田川の豊富な水のおかげで、紙すきも多くみられました。和紙の主な原料になる楮(こうぞ)は山地や礫土など苛酷な環境下でも育ち、農地に適さないところでも栽培できたことと、副材料のトロロアオイも栽培しやすかったため、藩内のほぼ全域で和紙づくりが行われていました。特に山県郡・佐伯郡などが有名で、「広島和紙」の産地として知られました。


銅蟲(どうちゅう)

銅蟲とは、薄い銅板を槌で叩いて形成し、藁で燻してつくる金属工芸品。槌の跡で凹凸に仕上げた模様と、光沢のあるこげ茶色が特徴です。色や質感は重厚ですが、実際には薄くて軽い。楽に持てるので「広島やかん」などが全国に流通し、有名だったといわれています。発案者は、初代藩主長晟が和歌山から連れてきたお抱え職人佐々木清氏。仕事熱心で銅の虫と誉められたことから銅蟲と呼ばれるようになったと伝わっています。平成3年(1991)県の伝統的工芸品に指定されました。


水運

海運では九州と大坂・江戸を結ぶだけでなく、西廻り航路ができたことで日本海から下関を通る北前船などが瀬戸内海を通るため、瀬戸内の海運業は好況を極めました。
舟運は毛利時代も活発でしたが、河口から可部までしかいけませんでした。江戸初期に可部のさらに上流まで通船が延びたことで、山間部と広島城下や海をつなぐ内水運が活性化、商業の発展につながりました。川沿いにはさまざまな問屋が立ち並び、浜・湊と呼ばれる繁華街も川沿いに発展していました。
海洋船舶はもちろん河川の造船も盛んになり、川の深さや流れの速さ、用途により、多くの種類の舟船がつくられました。
広島の川は干満差が大きく、普通の桟橋では荷揚げができないため、階段状の「雁木」が多く存在するのが特徴です。